Tendai Shomyo and Tennoji Bugaku
伯耆の国、大山開山1300年祭を記念して復元された大山寺流引聲阿弥陀経による聲明と天王寺楽所による雅楽・舞楽を公演いたします。
曲目 聲明:引聲阿弥陀経他 舞楽:抜頭、蘇利古、還城楽
Google Map
〒110-8716 東京都台東区上野公園5-45
※都合によりスケジュールや内容が変更となる場合がございます。
霊峰大山にある大山寺は、明治の廃仏希釈により多くのものを失いました。それは目に見えるものだけではなく古くから伝承されてきた独特な法儀にもおよびます。慈覚大師 円仁(じかくだいし えんにん)(794年~864年・第3代天台座主)によって大山寺に伝えられたと言う天台聲明の秘曲「大山寺流引聲阿弥陀経」もその中に含まれます。天台聲明は、棒読みの経文に高低・緩急などのゆるやかな曲節をつけ、音楽的な旋律によって唱えられる荘厳なお経です。三千院流・真如堂流(京都)と並ぶ大山寺流の阿弥陀経は口伝により伝承されていましたがいつの頃からか途絶えてしまいました。大山は2018年、開山1300年を迎えました。そして、大山寺では全国より祈願されていたその信仰を復活させる為に「大山寺流引聲阿弥陀経」を復元する事は必須と考え、この度大山寺に残る古文書をもとに齊川教授に依頼し完成するに至りました。この好機に、聲明を全国各地で唱える事により開山1300年祭を伝え、人々の安寧を願う行脚として齊川教授による聲明と天王寺楽所雅亮会による舞楽のコンサートを特別公演いたします。
1953年(昭和28)兵庫県神戸市生れ
吉祥山實相寺・多聞寺・大乗院住職
延暦寺学園叡山学院教授
1983年(昭和58)~比叡山高校1985年(昭和60)~叡山学院でそれぞれ「法儀聲明」を担当、現在に至る。1989年よりポルトガル・フィンランド・ロシア・ドイツ・フランスなどで数十回の聲明公演を行う。近年は「魚山流天台聲明研究會」を率い、チェコのプラハ・グレゴリオ聖歌隊とのコラボレーション公演をヨーロッパ各国で催行。CD『遙聲』(ソニーヨーロッパ)他がある。
皆様は「雅楽」をご存知でしょうか。もっぱら皇室行事や神社祭祀で演奏されることを耳にするので皇室や神道の儀式音楽だとお思いの方も多いと思います。しかし、実は雅楽は仏様を供養する楽舞として発展してきたものなのです。雅楽の前身は、遣隋使や遣唐使が中国からもたらした種々の外来音楽です。これらが平安貴族の趣味によって整理統合されて「雅楽」が成立しました。遣隋使を初めて派遣したのは聖徳太子ですので、太子は日本雅楽の父といえます。また、太子は、当時導入された新宗教であった仏教の儀式において「三宝(仏・法・僧)」を「蕃楽(外来音楽)」でもって供養しなさい、と宣われたと言われており、太子が建てた最古の官立寺院である四天王寺で、声明と種々の外来音楽を織り交ぜた仏教の大法会のスタイルが成立しました。現在も、太子の御霊を供養する法会である「聖霊会」(しょうりょうえ)が毎年4月22日に四天王寺六時堂前の石舞台で催され、きらびやかな舞楽が延々と披露されます。この「聖霊会(しょうりょうえ)の舞楽」は、大阪府に二件しかない重要無形民俗文化財のうちの一つに指定されています。
さて、太子の提唱した仏教音楽の理念は、奈良時代には盛大な東大寺大仏開眼供養会に結実しました。聖武上皇や孝謙天皇をはじめ百官や貴顕が居並ぶなか、一万人に及び僧侶が唱える聲明と外来の楽舞が交互に織り成す一台ページェントであったことを、最古の舞楽法会記録である『東大寺要録』は報告しています。聲明と雅楽は音楽理論を同じくしていますので、共演することに音楽的な難点はなく、東大寺を皮切りに大寺院で舞楽法会が盛んに催されました。もちろん、天台聲明もこのたびの演奏会のようにしばしば雅楽や舞楽と共に共演をしたことでした。
さて、平安時代には極楽浄土を演出する音楽や舞として、雅楽が仏教と深く結びついていきます。また、日本古来の神道的な歌や舞も雅楽の楽器編成によって編曲され直されて雅楽の一分野となっていきます。奈良時代末期からの神仏習合の流れのなかで、本来仏教と結びついた雅楽は、神道や宮廷の祭祀や儀礼においても用いられていくのです。このような雅楽の伝承の中心である「楽所(がくそ)」は、平安時代以降、二つの都である京都(内裏)と奈良(南都)と、太子のお膝元である四天王寺の三ヶ所で形成され、雅楽演奏を代々生業とする楽家によって伝承されてきました。宮廷に仕え官位を有していた二都の楽人とは異なって、天王寺楽人は四天王寺に隷属する立場であり卑賎視されがちでした。しかし、その演奏技術は都からも高く評価され、貴重な舞の相承者の中にも天王寺楽人の名前が見えます。また、天王寺楽人はしばしば宮廷での舞楽会に招かれて演舞し、天皇から褒美を賜ったこともありましたし、天王寺舞楽を鑑賞するために鳥羽上皇など都の貴顕がわざわざ四天王寺に立ち寄ることもありました。平清盛にいたっては厳島神社を整備した際に、宮廷の舞楽ではなくわざわざ天王寺舞楽を移植しました。鎌倉時代でも、吉田兼好が『徒然草』で、天王寺舞楽は「都に恥じず」と評するほどの技量の高さが維持されていたようです。その後、応仁の乱によって都の楽人が減り、皇室祭祀での雅楽演奏が難しくなりました。この時、天王寺楽人は、正親町天皇によって取り立てられて、他の二箇所の楽所と協働して宮廷の行事にも関わるようになります。江戸幕府はこのようなシステムを制度化して経済的に支えましたので、江戸期においては、天王寺楽人は官位を持って安定的に雅楽伝承に携わりました。しかし、明治維新による天皇の東京奠都で、三方の楽家は上京して東京に一つの楽団が組織されました。これが現在の宮内庁の楽部の前身です。その結果、天王寺舞楽の伝承は途絶えかけましたが、民間団体「雅亮会」が他に支援を得ることなく継続させ現在に至っています。司馬遼太郎がその著書『十六の話』で「雅亮会」に代表される大阪町人の気風について語っています。聖徳太子が日本に据えた仏教音楽理念を受け継ぐ1400年の歴史を持つ天王寺舞楽の伝統は、現在も脈々と大阪で保持されています。この演奏会を機縁に、今後とも、天台聲明とともに、この素晴らしい太子の遺産である文化財をもご支援下さるよう心よりお願い申しあげます。
日程 | 内容 | 開演 | 会場 | |
---|---|---|---|---|
第1回 -終了- | 2018年11月30日(金) | 天王寺舞楽 | 午後6時30分 | 読売新聞東京本社3階 |
第2回 -終了- | 2018年12月12日(水) | 天台聲明 | 午後6時30分 | 読売新聞東京本社3階 |
第3回 -終了- | 2019年1月23日(水) | 天王寺舞楽 | 午後2時 | 神田明神祭務所 地下ホール |
第4回 -終了- | 2019年1月30日(水) | 天台聲明 | 午後2時 | 神田明神祭務所 地下ホール |
第5回 -終了- | 2019年2月13日(水) | 天台聲明 | 午後2時 | 神田明神祭務所 地下ホール |
※都合によりスケジュールや内容が変更となる場合がございます。